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パウロ6世 (ローマ教皇) : ミニ英和和英辞書
パウロ6世 (ローマ教皇)[ぱうろ6せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
教皇 : [きょうこう]
 (n) Pope

パウロ6世 (ローマ教皇) : ウィキペディア日本語版
パウロ6世 (ローマ教皇)[ぱうろ6せい]

パウロ6世(、、1897年9月26日 - 1978年8月6日)は、第262代ローマ教皇(在位:1963年6月21日 - 1978年8月6日)。カトリック教会福者
本名はジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ(Giovanni Battista Montini)。第2バチカン公会議ヨハネ23世から引継いで全うし、その理念の実施を促進。パウルス6世とも表記される。
== 生涯 ==

=== 聖職者 ===
北イタリアサレッツォの田舎貴族の家に生まれたジョヴァンニ・モンティーニは1920年司祭叙階された。グレゴリアン大学などで学んだ後、ピウス11世の時代に教皇庁の国務長官パチェッリ枢機卿のもとで働いた。
パチェッリ枢機卿が教皇ピウス12世に選ばれると後任の国務長官ルイジ・マリオーネ枢機卿の下、モンティーニはファシスト党や、第二次世界大戦時にイタリアを占領下においたドイツナチス党との交渉など多くの困難な任務にあたった。
マリオーネ枢機卿が第二次世界大戦中の1944年に死去すると、国務長官の代行としてモンティーニとドメニコ・タルディーニが任じられ、反ドイツレジスタンスの保護に尽力する。
1953年には要職であるミラノ大司教に任じられた。通常は枢機卿へのステップとみなされる地位であったが、彼の権勢を嫌ったピウス12世はモンティーニには枢機卿職を与えなかった(彼はピウス12世の有力な後継者とみられていた)〔教皇から枢機卿就任を勧められたものの、当時の教皇庁内の情勢を考慮して辞退した、という説もある。〕。ピウス12世が亡くなってヨハネ23世が教皇職につくと、すぐさまモンティーニは枢機卿に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パウロ6世 (ローマ教皇)」の詳細全文を読む




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